
2025.05.06
私は横浜DeNAベイスターズでS&Cとして働いている四角純哉(しかくじゅんや)と申します。
これまで様々な内容を我々は発信してきました。
そこで、改めて考えてみました。
このブログの対象って誰だろう?
誰に一番この記事を読んでもらいたい??
そもそも、何のためにこれ綴っているんだっけ???
読み手がイメージできないと書きづらいなぁと常々感じていたので、今回は将来トレーナーを目指す若い人に向けて綴らせていただきます。
ということで、今回のテーマは「私がトレーナーを目指した理由」です。
思い返してみると、これまで3つのターニングポイントがありました。
①中学時代の進路相談
②高校時代の事故
③米国留学時代の決心
長くなりそうなので・・・、今回は①について書きます💦
私が中学2年生の時、授業の一環で担任の先生と進路相談についての面談がありました。
先生「皆さん、1週間後の面談までにどんな職業に将来就きたいか決めてくるように。」
特に将来のことなんて考えたことがなかった私は連日図書館で様々な職業についての本を読み漁りました。
中でもビビビッ!と来たのが『スポーツトレーナーになるには?』というタイトルの本でした。
当時からどんなスポーツでも観たり、プレーするのが好きだったこともあり、将来スポーツに携われたら楽しいだろうなぁ。という単純な動機でその本を手に取ったのを覚えています。
1週間後、意気揚々とその本を携え、先生はどんなアドバイスを私にくれるのだろう?とワクワクしながら面談に臨みました。
すると、まさかの言葉が・・・。
先生「スポーツトレーナー?そんな仕事で食べていけると思っとるんか?他の仕事にせえ!(香川県なので少し関西弁)」と厳しい言葉をぶつけられました。
思ったことを曲げるのが嫌いだった性格だったので、ありがたい?先生の言葉には全く従わず、むしろやってやる!というモチベーションになり、高校受験は体育やスポーツを勉強できる学校を受験したり、高校卒業後のプランを考えるようになっていました。
今思うと、中学時代の恩師に感謝です。あと、自分の意思を尊重してくれた両親にも感謝しています。
次回は2つ目のターニングポイント(②高校時代の出来事)について書きますね!