2025.10.01
こんにちは、育成S&C 兼 スカウティングパフォーマンスアナリストの 藤尾佳史です。
「今日の練習はキツかった」。これまで、選手のコンディションは主観的な感覚や、コーチ陣の長年の経験に基づく「目」によって判断されてきました。しかし、現代のプロ野球において、シーズンを万全の状態で戦い抜くためには、より客観的で科学的なアプローチが不可欠です。その中核を担うのが、選手の背中に装着された小型GPSデバイス(Catapult Sports社)です。この技術は、目に見えない「身体的負荷(Player Load)」を数値化し、プロ野球のコンディショニングに革命をもたらし始めています。

GPSデバイスの最も重要な機能の一つが、「Player Load」という指標の算出です。これは、単に走行距離や速度を測るだけでなく、内蔵された加速度センサーによって、選手のあらゆる動き(加速、減速、ジャンプ、方向転換など)から身体にかかる総合的な負荷をリアルタイムで数値化するものです。
例えば、同じ距離を走ったとしても、全力疾走と緩やかなジョギングでは身体への負担は全く異なります。Player Loadは、こうした運動の「強度」を精密に捉えることができます。試合や練習で蓄積された負荷データを日々記録・分析することで、コーチやトレーナーは選手の疲労度を客観的に把握し、「休養が必要な選手」や「もっと追い込める選手」を的確に見極めることが可能になるのです。

プロ野球選手にとって最大の敵は、言うまでもなく「怪我」です。特に、太ももの裏側を痛める「肉離れ」は、急激な加速や減速を繰り返す野球選手に頻発する怪我の一つです。
GPSによるデータ分析は、こうした傷害の予防に絶大な効果を発揮します。研究によると、急激なトレーニング負荷の増加は、怪我のリスクを大幅に高めることがわかっています。GPSで日々の負荷を管理することで、チームは選手が危険な「過負荷(オーバーワーク)」状態に陥るのを未然に防ぐことができます。
具体的には、ある選手の1週間の平均負荷(慢性的な負荷)に対して、その日の練習負荷(急性的な負荷)が急激に上回らないようコントロールします。もしデータが危険な兆候を示せば、練習メニューを軽くしたり、試合出場を一部制限したりといった予防措置を講じることで、データに基づいた科学的なリスクマネジメントができるようになります。

GPSデータは、画一的なチーム練習からの脱却も促します。同じ練習メニューをこなしても、その負荷は選手のポジションや体格、コンディションによって大きく異なります。例えば、広大な守備範囲をカバーするセンターの選手と、瞬発的な動きが多いキャッチャーでは、身体のかかる負荷の種類も量も全く違います。
GPSは、そうした個人差を明確に可視化します。データを基に、各選手に最適化されたトレーニングプログラムを組むことで、練習の質を最大限に高めることができます。若手選手にはさらなる成長を、ベテラン選手にはパフォーマンスの維持と疲労回復のバランスを、というように選手一人ひとりに寄り添うメニューも可能になってきています。

またGPSを活用することで、障害予防やコンディショニングだけでなく、パフォーマンスにもいい影響を及ぼすことが考えられます。
打球がバットに当たった瞬間から、野手が最初の一歩を踏み出すまでの反応時間(Reaction Time)、トップスピードに到達するまでの時間、そして落下地点までの最適ルートをデータ化します。これにより、「単に足が速い」選手と、「打球判断が優れ、最短距離でボールに向かえる」選手の違いが明確になります。
このデータは、守備位置の最適化に直接的に繋がります。例えば、ある打者が特定のコースに速い打球を打つ傾向がある場合、それに対応できる「一歩目の速い」選手を配置する。あるいは、データ上、ある選手の守備範囲が通常より狭いことがわかれば、他の野手との連携でカバーするようなシフトを敷く。すなわち、経験則に基づいた守備体系から、データに基づいた戦略的な守備体系へとチームを進化させることも可能になります。

盗塁の成否は、単なる脚力だけでは決まりません。ピッチャーの投球モーションを盗む洞察力はもちろんのこと、静止状態からトップスピードへと移行する「加速力」が極めて重要です。
GPSは、リードからスタートし、塁間に至るまでの速度変化を秒単位で追跡します。これにより、選手の真の「走塁能力」が可視化されます。「最高速度は高いが、加速に時間がかかる選手」と、「最高速度はそこそこだが、爆発的な加速力を持つ選手」。どちらが盗塁に向いているかは一目瞭然です。
さらに、打者がボールを打ってから一塁、二塁、三塁を駆け抜ける際のベースランニングの技術も評価できます。ベースを回る際にいかに減速を抑え、効率的なルートを走れているか。こうした微細なデータが、1点差を争うゲームの勝敗を分ける「次の塁を奪う」ための重要な判断材料となるのです。

これらの「動き」に関するデータは、将来有望な選手を発掘するスカウティング活動にも革命をもたらすかもしれません。従来のタイム測定や遠投といった指標に加え、実践的な動きのデータは、選手のポテンシャルをより多角的に評価することを可能にします。
また、育成段階においても、GPSデータは強力なツールとなります。若手選手に対して、具体的な数値目標(例:一歩目の反応時間を0.1秒縮める)を提示することで、課題が明確になり、モチベーションの向上にも繋がります。
データという客観的な鏡に自らのプレーを映し出すことで、選手はより効率的に成長への道を歩むことができるのです。GPS技術は、まさに野球というスポーツの「動き」そのものの価値を再定義し、未来のスター選手を育む土壌となるかもしれません。
最後までお付き合いありがとうございました。